• 「猫の手貸します」

私は耳を疑った。
「厳格に評価した結果、措置は適切に実施されている」
と経済産業大臣により、原子力発電所の再稼働に関する
「安全宣言」が出たという(6月19日産経新聞)。
なぜこの時点で安全宣言なのか。
福島原発事故は、まだ終息していない。
事故は「想定外」だった。
そして東京電力は事故時、
政府に「撤退したい」と一端は匙を投げた。
つまりは当事者がお手上げ
となってしまうほどの歴史的な事故が、
現在も進行中なのだ。
福島の原発周辺の人たちが、
そして子を持つ親御さんたちが、
今、どれだけ苦悩しているのか。
政府は目を閉じているとしか思えない。
私も含めて、現在、最前線の自治体には
毎日のように、これらの心配の声が届いている。
将来、福島と同様のケースとなること想像し、
恐怖を感じている各原発の周囲の住民たちは、
この安全宣言をどう捉えたのだろう。
安全かどうかの話は、この福島の想定外を
「想定内」にしてからでないと。
従来の想定を超えたことに、
今回の本質があるのだ。
ではその想定を根底から見直す作業から
始めないといけない。
検証が行なわれ、
これを踏まえて想定の見直しに移り、
ようやく備えの話になっていく。
その備えの見通しが立った時点で
安全の話をするのが筋道だろう。
その検証も信頼に足るものでなければ、
つまり稼働ありきのものであれば、
意味をなさないことを付け加えておきたい。
何が、この「あってはならない」原発事故の原因で、
何を備えておけば、同様のことが起きないのか。
そんな真相も見えないまま、
従来通りの想定による安全性をいくら説明されても、
心配は解消されず納得はできるはずもない。
現実論として、
電力不足や原発従事者の仕事など、
対応の迫られている問題もあるのだろう。
しかし、このようないい加減な発信をしていると、
ますます信頼は損なわれ正反対の流れに向かっていくだろう。
原発の事故は、広範囲にわたり、
地域の歴史を寸断し破壊させるもので、
あってはならないものだ。
おそらく世界史に刻まれるこの事故。
世界各国からも注目が集まっている。
当事者である私たちが、
いとも簡単に棚上げしてはならない。
今回の安全宣言もまた、
政府の場当たり的言動だとの印象である。
これほど国民の気持ちを逆なですることもない。
国民の信頼を損ねる言動の一つとして記憶されるだろう。