• 「猫の手貸します」
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被災地への訪問は3度目。
最初は、直後の3月12日。
自衛隊もまだ到着していないとき、
人命救助やご遺体の情報伝達などを経験した。
津波の途方もない影響が
生々しく目の前に広がっていた。
2度目は、5月初旬の連休。約50日目。
瓦礫の撤去が始まり、
道路用地の確保が進んでいた。
大地が乾燥していたのが、
災害直後ともっとも異なる点であった。
しかしまだまだ、
絶望的な光景が広がっていた。
街中にも人がおらずひっそりしていた。
そして、5月末。約80日目。
今回。街に人が出ていた。
瓦礫の撤去もかなり進んでいた。
重機の音がどの場所でも響いていた。
避難者は現実が見えてくるようになって、
かえってことの深刻さを実感し、
気持ちが落ち込んでいくという。
公的部門の雇用対策である瓦礫撤去の仕事以外に、
気仙沼では企業家たちが自ら立ち上がった。
ここにきて色々な課題も見えてきた。
時間の段階に応じた避難者の支援。
自立を前提に組み立てる必要がある。
仮設住宅に抽選で当たったが、
避難所からなかなか出られない人がいた。
自分で生活費を工面することに不安が残り、
今一歩踏み出せないのだ。
雇用や住宅、こうした生活基盤を
整えていかねばならない。
瓦礫撤去などの公的な緊急雇用は、
一時的であり永続的なものではない。
地域経済の循環を、
いかに早期にもたらしていくかは、
地域の運営をする上で重要な視点である。
被災者のうち、自宅で避難生活を
送る人たちへの情報提供やニーズ把握。
ここは盲点となっている。
長期間、ライフラインが断絶され続けると、
生活が困難になる。
避難所で受け取れる、
とアナウンスがあっても、
「自分は恵まれているから…」
との理由で足を運びたがらないという。
この自宅避難者への配慮も必要である。
ボランティアについては、
日を追うごとに、専門的ボランティアが必要となる。
ご遺体に遭遇したり、
支援に疲れきってしまって
心に傷を受けるボランティアに対し、
そのケアをする専門家が必要とされている。
ボランティアの窓口は社会福祉協議会であり、
その社協の動きいかんによって、
被災者のニーズ把握と情報提供に差が出てくるのだろう。
災害時の議会の役割、議員の行動についても、
様々な示唆をえた。
発災前に備えておくこと、
発災後、議会の運営を
どのように再開していくかということ、
議員は一個人として行動するのか、
それとも別の役割を持つべきなのか…
ハードを整える作業は、
例えば学校耐震化を平成24年度で終了することから見ても、
粛々と進められている。
もちろんハードも不断の見直しや強化を図ることが必要だ。
ただ今回の被災地視察で痛感したのは、
むしろソフトの部分での見直しが求められる点だ。
長期災害における職員の確保のための
自治体間連携強化や、
ボランティア対応。
経済復興のための行政の積極的な支援体制、
などなど。
今回の災害は、地震被害よりも、
圧倒的に津波による被害が大きい。
原発事故も含め、
地震がもたらした「複合型災害」
である点にも注目したい。
さいたま市でも、
数十年以内に首都圏直下型地震が起きる、
と言われている。
このとき、例えば荒川などの堤防が決壊した場合、
備えるべきは、地震だけではない。
川からの水をどのように回避するのか、
そんなことも念頭にいれる必要があろう。
さいたまはもともと災害に強い地域性を持っている。
大正時代の関東大震災の後、
都内の危険性を回避し、
災害に移り住んだ芸術家や盆栽職人たち。
その移住先がさいたま市内の別所沼公園周辺や、
大宮の盆栽村なのである。
最近では、企業の重要データなどを保管する
データセンターも市内に移転を決めたという。
さいたま市が徹底して防災対策に力を入れることにより、
災害に強い街として、
経済効果も含めたさまざまな効果も期待できる。
今回の大規模災害から多くの教訓を汲み取ることが、
犠牲者の声なき声に応えることとなるのではないか。