• 変わらず ブレず 前へ 未来へ。

「日の丸」「君が代」。
私にとって、
これらを強く意識したのは少年時代だった。
1984年、ロサンゼルス・オリンピック。
柔道・無差別級の決勝戦。
世界に名を残す伝説の柔道家、
山下康裕選手が日本代表として決勝に臨む。
1980年のモスクワ五輪ボイコットを押して、
8年越しの念願のオリンピック出場だった。
国民の期待を一身に背負っての戦い。
私も含め柔道少年少女たちは、
手に汗握って食い入るようにテレビを観ていた。
このとき山下選手は、
肉離れという致命的な怪我で
足を引きずりながらの戦いだった。
汲み手で相手の動きを止め、
隙を見つけて抑え込む。
横四方固め。
30秒のブザーが鳴り、
主審の手がまっすぐ垂直に上がる。
一本勝ち。
畳を両手でたたき、
山下選手は涙を浮かべた。
その時の光景を、
私は私なりに感動の中で記憶している。
そして、この表彰式。
最も高いところに山下選手が登った時に、
「日の丸」が掲揚され、「君が代」が流れたのだ。
かくして少年時代の私にとっては、
「日の丸」「君が代」は涙と汗の象徴だった。
月日が過ぎて20代前半。
各種の市民運動で学んだ。
この時期。
第2次大戦やその過程における
日本の歴史や他国との関係について、
決して軽視できない負の側面を知った。
この負の側面の象徴も、
「日の丸」「君が代」であった。
現在、社会問題となっている
起立しない選択をしている教員の人たちは、
「日の丸」「君が代」が、
この負の歴史の象徴であるということを
起立せず歌わない理由としている。
さらに。
戦禍から立ち直った沖縄県民が、
1972年の本土復帰の際、
手には日の丸を振りながら期待したことも知った。
その後の沖縄では、米軍基地問題などで、
その期待が裏切られたとして、
日の丸が焼かれた事件が起きたことも知った。
「日の丸」「君が代」にまつわる
様々なことを知るたびに私は考えを巡らせた。
日本の歴史。この国を創ってきた人々。
特に戦後、荒廃した国を立て直してきた、
名もなき人々のこと。他国との関係。
世界における日本…
いろいろな日本の国の側面を、
この地に生きた人々を、
この「日の丸」は見てきた。
いろいろな人々の気持ちの中で歌われてきた。
これまでの幾多の人々の歴史が詰まったものなのだ。
そして、一定の結論に至る。
やはり「日の丸」「君が代」は尊重するものであり、
私自身が生まれて、生かされている国の
象徴的なものなのだ、と。
自分のものとして、
大切にしなければならないものだ、と。
そして様々な負の歴史も、
その象徴を思う気持ちに組み入れて、
忘れないようにしたい、と。
そんな思いを込めて尊重しようと決めた。
そんなことで。
私は各種の儀式の際、「日の丸」「君が代」には、
自分の国である日本の国に想いを馳せ、敬意を払い、
起立し歌う、という姿勢を取っている。
これは「自発的に」である
国旗国歌法で、つまり法律で決まったから、
という理由で起立しているわけでも歌うわけでもない。
あくまで自発性にのっとった行為である。
このことは明確にしておきたい。
そこで。
最近、話題になっているこの件。
最近の最高裁判決では、起立せず歌わない教員に、
職務命令を出すことは合憲である、との判決が出た。
この判決と前後し、大阪府議会では、
いわゆる「日の丸君が代斉唱義務付け条例」
が審議されている。
本日6月2日時点ではまだ、
委員会で可決された状態であり、
本会議での採決、という最終的な決定には至っていない。
他の議会のことに口出しをしたくはないが、
この条例には、それが提案される前から、
私は違和感を感じてきた。
そして、その違和感の正体を、
この間じっくり考えてきた。
ようやく。
その違和感の所在は、法令で「無理に起立させる」
という「方法」に起因するものだ、と気がついた。
ちなみに、1999年の国旗国歌法の制定時、
国会では、こんな議論が交わされている。
当時首相であった小渕恵三は、1999年6月29日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和夫の質問に対し以下の通り答弁した。
「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」
「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」
(ウィキペディアより)
断わっておくが。
私は「日の丸」「君が代」を
第2次大戦やその経緯の負の歴史にのみ
置き換えて反対する意見には与しない。
むしろ、戦後日本の復興や平和的な国づくり、
他国との協調関係を持つ姿勢など、
大いに評価に値する象徴としても重ねて考えている。
アフリカや南米などの異国の地で、
日本の国への貢献のために汗した人たちが、
異国で国旗を見たときの気もちにも想像を働かせたい。
山下選手の滲んだ眼に映っていた日の丸や、
口から発せられた君が代を、私は忘れることはない。
第2次大戦の負の部分の断片的な歴史をもって、
時計の針を止めてしまう思想や考えには一線を画したい。
私たちは、
その負の歴史を真摯に受け止めるとともに、
もっと戦後の国造りを評価していもいい。
その点は「起立しない派」の方々と、
多いに議論したいものだ。
ただ。
それを本人の意思に関係なく、
法令で、またはその先の腕力で従わせる、
という方法をとることに違和感がある。
これでは、返って尊重とは正反対に意思が
向いていくだろうことを危惧しているのだ。
さらに頑なにさせてしまうことだろう。
その周囲に与えるマイナスの影響もあるだろう。
北風と太陽の童話があるが、
まさに北風方式である。
強い北風を吹き付けたところで、
コートを脱がないだろう。
異論を腕力で強引にねじふせるという行為は、
事の本質を離れて、その行為に対しての怒りや怨念が
新たに付されていくものであり、
決して将来に明るい光が差し込むとは思えない。
起立し、歌うべきだ、
という構想の下に立案されたはずの条例が、
返ってそれを遠ざけることとなるのかもしれない。
そもそも。
強制された結果、起立したり、歌うことがあったとしても、
「日の丸」「君が代」への尊重の気持などは生まれてくるはずもなく、
処分を恐れての行為にすぎないことであって内面の体現ではない。
特にこうした儀礼的な行為は、
気持ちを伴ったものであってほしいものだ。
外見の行為を統一することにこだわるあまり、
大切な内面を置き去りにするのは、
問題の本質的な解決を導くとは思えない。
私自身。
考えを力任せに変えさせようという他者に、
私は反発して生きてきた年月がある。
納得して、理解して、
初めて自分の考えを改めたい、と考えて生きてきた。
そんな自分の生き方に照らして、
先の条例は賛同しがたい「方法」である。
これが違和感の正体だった。
最後に。
先に記した最高裁判決の中で、
私が最も共感した「補足意見」を
ここに引用し、この項を終わりたい。
●千葉勝美裁判官(裁判官出身)
司法が職務命令を合憲・有効として決着させることが、必ずしもこの問題を最終的な解決に導くことになるとはいえない。国旗・国歌に対する姿勢は、個々人の思想信条に関連する微妙な問題で、国民が心から敬愛するものであってこそ、本来の意義に沿う。最終解決としては、国旗・国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要だ。(5月31日 朝日新聞より)