私たちは、EU(欧州連合)の
壮大な挑戦に注目している。
経済共同体に始まり、
真の共同体に向け、試行錯誤が続いている。
欧州連合条約第2条では、
欧州連合の存在価値について、
以下のようにうたっている。
連合は人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観に基づいて設置されている。これらの価値観は多元的共存、無差別、寛容、正義、結束、女性と男性との間での平等が普及する社会において、加盟国に共通するものである。
(ウィキペディアより)
日本の国では、こうしたEUの動きに感化され、
「東アジア共同体」を目指す声も上がっている。
確かに、近隣と経済的・社会的な統合を模索することは、
意義あることだろう。
実現するにしろ、しないにしろ、
隣国と腹を割って
コミュニケーションをとる機会となるからだ。
ただ、安易で拙速な共同体化には、
異議を申し立てたい。
というのは、EUの負の部分が
最近各地で見えてきているからだ。
これはEUに限らず、
移民の自由化にも重なる話だ。
異文化の流入がもたらすトラブルが各地で起きている。
報道によれば、フランスでは「ロマ族」の
ルーマニアなどへの送還の動きがあるようだ(毎日新聞9月4日)。
一部が組織艇に物乞いや犯罪を犯したことが背景にあるらしい。
送還は、EU法に抵触する可能性もあるという。
同じフランス。
「ブルカ」というイスラム教徒の女性が身にまとう布について、
公共の場での着用を
全面的に禁止するとの禁止法案が審議途中にある。
すでに下院では圧倒的多数で可決され、
9月中に上院で審議されるという。
これは大統領選挙にかかわる話、
つまり国民的世論の動向がもたらしたもので、
国民的な「イスラム嫌い」が背景にあるようだ。
フランスに限った話ではない。
先日訪問した、南ドイツ。
自動車工として流入してきたトルコ移民と、
地元住民との解決策が見いだせないギクシャクした関係が、
マインブルグ市幹部の言葉から滲み出ていた。
昨年夏に訪問したスウェーデン。
ここでも、
30年以上にわたって現地に在住している河本さんからは、
ベトナム移民に対するスウェーデン人の持つ嫌悪感の話を聞いた。
ベトナム人によるトラブルが各地で頻発しているという。
それは決して根拠がないことではない。
現に、私の身近なところでも起きた。
ベトナム移民と思しき人物が、
同行した仲間のパスポートやパソコンの入ったを
カバンごと盗んでいった。
ホテルフロントのビデオカメラの写真に、
克明に写されていたことで
アジア人系であることを確認している(警察の見立から想像される)。
何も、犯罪者は一部であって、
その民族や人種、宗教組織が犯罪集団ではないのだが。
しかし、世論は、それを宗教や人種、文化などの
枠組みでとらえてしまう傾向にある。
これはどの国にも、ある現象なのだろう。
さて。
私は他国民や他の文化を排斥せよ、
という主張には与しない。
世界的なグローバルの本質は、
違いを乗り越えて認め合うことではないかと思う。
これこそ究極の戦争回避策だ。
一方で、ある決断をする際、
つまり共同体化や移民の規制緩和を決断する際には、
それがもたらす後々の社会への影響について、
事前に各国の事例を洞察し、
想像力を働かせなければならない、と強く思う。
理想を追求する姿勢は尊いことであり、
失ってはならないが、
現実への影響がマイナスの作用を及ぼし、
返って新しいトラブルや悲劇を引き起こし兼ねない。
最後は、国民の覚悟、というものも必要となる。
数々のリスクを押してでもやる、
国民全体にそんな覚悟が広まれば、
きっと乗り越えられるに違いない。
政治の側がこれらを提案するならば、
まずは、相当の覚悟を自ら備えていなければならない。
そして国民の納得と覚悟の
プロセスを通過しなければならない。
うわべの理想主義や、
選挙民へのアピールのための提案は、
決して後世のために望ましい結果を生み出さないだろう。
そんなことを、現在のEUやその近辺の
先進国の直面している課題から考えた。