• 「猫の手貸します」

6月8日。
菅内閣総理大臣就任初の記者会見。
この中にこんなくだりがある。
社会保障についても、従来は社会保障というと、何か負担、負担という形で、経済の成長の足を引っ張るんではないか、こういう考え方が主流でありました。しかし、そうでしょうか。スウェーデンなどの多くの国では、社会保障を充実させることの中に、雇用を生み出し、そして、若い人たちも安心して勉強や研究に励むことができる。まさに社会保障の多くの分野は、経済を成長させる分野でもある、こういう観点に立てば、この3つの経済成長と財政と、そして社会保障を一体として、強くしていくという道は必ず開けるものと考えております。
ここに出てくる「スウェーデン」という国。
その先進的で実験的な政策、
高負担など注目されている国の一つである。
私も興味を持ち、積極的に関連本を読み、
そして在住約40年の河本佳子さんと親交を得るなど、
その一端に触れてきた。
昨夏にはm、河本さんが在住する
「マルメ」という第3の30万都市への訪問も実現した。
で、その現時点での認識として。
当たり前だが、
スウェーデンに学ぶべきところもあれば、
日本が圧倒的に優れているところもある、
ということに気がつく。
ここでは菅大臣の発言に見られるように、
スウェーデンをお手本として
意識しすぎることに警鐘を鳴らす事を目的に記しておきたい。
働く者にとっては、
圧倒的にスウェーデンがいい。
午後4時には仕事が終わる。
その後の時間は、
自分や家族、地域のために使う。
夜間議会が成立するのは、
仕事が早く終わるからだ。
公務員は、サービスの受け手が
目の前にいるにも関わらず、
さっさとマイペースで帰途についてしまう。
日本のサービスが過剰に映るくらい、
無愛想で、気を使わない。
つまり、マイペースで仕事をし、
仕事も自己犠牲の精神はそれほどなく、
一定の時間で人間らしく済ませる。
日本のサービスはいいが、それは裏返せば、
労働者の犠牲を伴う面もある、
労働時間を短くするのか、
仕事をもう少し人間らしく行なうのか。
ケースバイケースだが、
日本は働き方については、
学ぶべきところがあるだろう。
一方のクオリティの面。
料理や各種サービス、
社会インフラの整備の制度など、
これは圧倒的に日本がいい。
河本さんも「日本の食事はおいしい」
と帰国し食事をご一緒するたびに口にしている。
マルメに訪問した際、
バリアフリーの面で町の点検をしてみたが、
これは日本の都市のほうが進んでいる印象を持った。
古い街並み、景観は訪れる者の気持ちをつかむが、
細部に目をやると、
ほころびが見える面もある。
では社会保障。
この点は様々あるだろうから一概に言えないのだが、
スウェーデンが圧倒していて日本が劣っている、
というわけではない。
車イスなど障害者の道具作りを専門に行う部屋がある。
細かい調合などができるよう、
スタッフは常駐し、
なんでもできる印象をもったが、
帰国後さいたま市で確認をすると、
「すでに大宮にある」とのことだった。
スウェーデンで行なわれている施策の多くは、
すでに日本でも行なわれているようだ。
日本では、悪いものは徹底的にたたかれる傾向にあるが、
良いものを評価する事があまりないため、
スウェーデン初め他国に劣っているような印象を持つが、
決してそんなことはない。
この点は一長一短という印象だ。
さらには、消費税。
これは重い。
スウェーデンは国民負担率が高い、
といわれるが、本当に高い!
昨夏マルメで、外食をした際。
大学の学食のようなところで食べた。
食事代金に上乗せされる消費税。
日本では1000円以内で食べられるような食事。
支払う際は、異国だし、
クレジットカードにより、
スウェーデン・クローネでの支払いだから、
ピンとこなかった。
が、帰国後、レシートとを見ると!
金額は忘れたが、「むむむ…フ―」とため息が出た。
いくら社会保障が充実しているからと言って、
スウェーデンの人たちがこの高い税に
満足しているというわけではない。
河本さんも外食は控えているという。
こうした社会保障費用の伸びを抑えるため、
社民党から政権を引きついだ穏健党は、
公的分野の支出を抑制するために、
市場原理を取り入れているとも聞く。
つまり際限ない消費税の高騰を、
国民が容認しているわけではないということだ。
と。
いろいろ事例も交えて記してきた。
ここでまとめると。
日本で陥りやすいスウェーデン信仰的なものは抑制し、
冷静に受け止めるべきだ、と私は考える。
菅首相の発言を冷静に見ていきたい。
ただし。
私が最も重視している点。
それは「民主主義が徹底されている」ということ。
つまり、話し合って納得して決めるという点だ。
この点こそ、
日本がスウェーデンから学ぶ最たるものだと思う。
私も9年間、自治体議員を経験し、
この話し合いの充実度はまだまだ足りない。
これは日本の国民の無関心というよりも、
私も含めた政治サイドに、
関心を持ってももう努力が足りなかった、
ということだろう。
スウェーデンがいま進めている政策。
当然、これはその話し合いと納得による国民の選択により、
現出した「結果」である。
その「結果」は、
話し合いと納得という「プロセス」なくしてなしえない。
スウェーデン信仰にいささかの危険を感じるのは、
この「プロセス」が省略されてしまう議論が多いからだ。
いきなりスウェーデンの特定政策を取り入れると、
どんなにいい政策であっても日本ではうまく進まないだろう。
なぜなら日本の国民の中から
生み出されたものではないからだ。
活発で充分な議論を通じて
政治にその国民の意向が反映されるならば、
巣の政策をまず進めてみよう、という機運が高まる。
スウェーデンで今行われている先進的な政策も、
いずれその民主主義を通じて
全く異なる「結果」が出てくるのかもしれない。
その時代によって、
結果を国民が選んでいるのだ。
スウェーデンの民主主義は実験的だ。
とにかくやってみる。
そしてだめだったら撤退する。
「新たな挑戦」と「廃棄」。
これが備わっている点は注目に値する。
これは民主主義が成熟して初めてなしえる。
日本では残念ながら、
新しいものは敬遠される傾向にあり、
極度に失敗を許さない雰囲気が漂うため、
一歩踏み出せないようなケースが多々見られる。
そして「廃棄」に至っては、
一度できた政策を取りやめることが、
どれだけ困難なことか。
政権交代後の民主党政権が苦しむのも、
こうした廃棄に踏み出せないためだ。
スウェーデンの知的障害者施設で働く
河本さんに聞いた話が象徴的だ。
数年前。
河本さんは、労働者が一定の給与を得たまま、
一定期間仕事を休職できる
「ワーキングホリデー制度」(だったと思う)を活用し、
日本に帰国した。
その時の河本さんの言葉。
  この制度は数年後に
  なくなってしまうかもしれない制度だから、
  今使っているんです。
案の定。
この制度は数年後にきっちり役割を終えたという。
国民がその存続を許さず、
政治がその制度を廃棄したのだ。
選挙の投票率は、
コンスタントに80%を超え、
90%近い自治体もあるという。
子どものころから政党のテントに、
親に連れて行かれ、政策に触れる。
ナマの政治に幼少から触れる。
日本では、未成年は生の政治に関わってはならない。
さらには、親は政治を触れてはならないものと
せんばかりに敬遠する。
スウェーデンが、個人ではなく、
政党を選ぶ全国比例の選挙である点も注目だ。
社会の全体に目を配り、
その選択肢の中から最も適切な政策を選択する。
政策選択が選挙と一体となっているという。
もっとも全国比例での政党重視型選挙においては、
「個人の活動をなかなか評価してもらえない」
という政治家の悩みがあるようだから
単純にこの選挙方法が優れているというわけではない。
一方の日本はどうか。
一言でいえば「前例踏襲」「過去の継続」。
新しい挑戦も中途半端。
廃棄は、政権交代した後も踏み出せず。
ここに、これまでの政治の限界がある。
官僚主導が元凶だといわれるが、
そもそも政治の責任だ。
なぜ、こんなことになるかといえば、
政治関係者が国民との対話を十分にせず、
さらには納得を得る作業をしていないからだろう。
国民に迎合して
目先の分配で得票しようとする政治をしているうちは、
成熟するはずもない。
確かに1990年代までの政治では
利益分配型の要素が強かった。
これは歴史的経緯によるものだ。
しかし成熟社会に入った現在の日本。
国民はすでに、
定額給付金や子ども手当において見られるように、
目先の分配を求めていない。
それどころか大半は、
それに不快感すら示している。
国民はきちんと判断している。
いよいよ、政治家が国民を信頼し、
本音で議論してその納得を得て進める時代、
政治の果たす役割の大きな時代に入ったのだと思う。
その時に最もなくてはならないのが、
信頼できる政党だ。
今の政党、特に2大政党はどうか。
有権者の人気取り、
つまり選挙受け的要素が
まだまだ強いのではないか。
その裏付けとして、
総花的な政策、あいまいな物言い、
過去の政策へのこだわりのなさ。
そんな点が挙げられる。
これは国民を信頼していないことの裏返しだ。
自分が進めたい国づくりを、国の形を、
真正面から国民に示す。
そしてその方向に進むよう呼び掛ける。
その時々の社会情勢により、
国民が選択していく。
その選択の積み重ねの先に、
きっと日本の進むべき道が
用意されているのだろう。
ずいぶん長い文章となったが、
改めて全体のまとめ。
スウェーデンに学ぶべきは、
いま目に見えている生み出された「結果」よりも、
それを生み出す「プロセス」、
その民主主義のあり方ではないか。
まず日本で志向するべきは、
政治サイドが国民を信頼して、
じっくり話し合う機会を作ることではないか。
そして納得を得て進めていくことではないか。
もちろん子ども時代の教育分野における政治教育も含めて。
納得の上での「消費税10%」ということなら、
国民は協力を惜しまないだろう。
まだ納得の段階ではないし、
説明が不足するとその議論すら入口に入れなくなる。
議論をするならその資格をまずは得なければ。
政治の関係者が試されているのだ。
身を削り、約束を守ること。
時代の養成となっている課題に愚直に取り組むこと。
目先のことに走らないこと。
何より国民を信頼すること。
痛みがあっても、
きちんと説明すれば解ってくれるはずだ。
ただ、痛みの前にすべきことがあるのではないか、
これが国民の声ではないか。
国民はすでに一定のレベルに達していて、
日本の民主主義の成熟のための機は熟しているのだ。