• 「猫の手貸します」

三宅島視察を振り返りたい。

今回の企画は、
明大公共政策大学院の青山教授の主催によるもの。

青山教授は、2000年の噴火の際、
副知事(知事は石原氏)として、
全島民の避難の指揮を執った。

この時の経験を、
教授はたびたび私たち学生にレクチャーしてくださった。

全島避難から復興、そして日常生活に至るまで、
三宅島はその一つの例として示された。

最近では2回、
1983年と2000に噴火している。

今回の視察では1983年の際の
溶岩による被害の現場を見た。

小学校の校舎は残るものの、
溶岩に埋没している。
塊黒く不気味な溶岩の塊。
この上を歩く。

小学校の屋根の鉄骨は、
いとも簡単にひしゃげてしまうほどの凄まじいエネルギー。

この溶岩が赤々と迫る姿は、
どれだけの恐怖をもたらすだろうか。

最後まで残った担当職員は、
海から間一髪脱出した。

一面に広がる溶岩の原っぱ。
生物が存在しないかのような黒々とした
その岩の隙間から植物が這い出ている姿は、
絶望に対する希望の象徴に見えた。

夜中の火山ガスの放送は、
観光客には「的確で安心」と映るも、
島民にとっては「うるさい」存在だという。
それだけ頻繁にガス注意報等が発令されているのだろう。

雄山(おやま)の山頂には、大きな火口。
2000年の噴火の際には、
標高が数十メートル下がったというから
巨大な噴火だったことが想像される。

噴火から10年、帰島から5年。
まだまだ復興道半ば、
といった感を受けた。

観光客は噴火前の8万人の半分に下がった。
飛行機の便は一日1便になり、
それも不安定となったことが大きな要因だ。

火山ガスが収まるまで、
しばらくはこうした状況が続きそうだという。

ただ、自然の恵みは三宅島最大の資源だ。
豊かな自然に、おいしい食材。
健康や火山をキーワードに観光振興ができそうだ。

島の方々の温かい一面にも触れることができ、
また多くの仲間たちとともに同じ時間を共有できたことは、
私にとって大変有意義であった。

ぜひまた、訪れてみたい場所である。
その場合には、また船の旅で、
仲間と語りながらの時間を過ごしたいものだ。