夕張市の苦悩が伝わってくる。
テレビや本によれば、
住民は考えを改めるなどして、
新しい生活に試行錯誤が続いているようだ。
昨年秋に夕張を訪問した際、
偶然であった中学生が「夕張を出て行く」
と躊躇なく言った時に、
この地域の将来に暗澹たる想いがしたのを思い出す。
「自治体は財政破綻しても、つぶれない」
と安易に言われることがある。
しかし住民にとっての現実はそう甘いものではない。
とくに命にかかわる医療の存続については深刻なようだ。
財政破綻はなんとしても回避しなくてはならない、
という想いは、
夕張の状況を知れば知るほど強くなっている。
ところで、この夕張市が財政破綻し、
財政再建団体となった時に提示した
「財政再建計画」には廃止する事業がズラリと並んでいた。
その中に書かれていた一文に、目が止まった。
「真に必要な事業を残し、あとは廃止することとした」
という趣旨のものであった。
これは必要性の無い事業、薄い事業を、
これまで事業として行なっていた、
これを裏付けるものである。
財政が厳しい折、
事業の選別は不可欠な状況となっている。
必要の無くなった事業は、
ただちに廃止を決断しなくてはならない。
必要性の薄いものについては精査し、
やはり廃止しなくてはならない。
これができていないのだ。
これは常設の行政改革機関である議会の責任が大きい。
私もその責任を負う一人である。
このご時勢で、
総論で廃止や削減に反対するものはいない。
しかし、具体的な事業になると、
たちまち反対が起きる。
サービスの受益者からの声ならならまだしも、
議員がそこに介在し、代理人として、
事業のスクラップを妨げる役割を果たす。
それはほぼすべての事業にわたり、
結局、思うような事業の廃止には至らない。
これがどこの自治体でも抱えている現状である。
こうした中、
財政収入が不足するときなどは、
すべて痛みわけで「5%削減」する。
これにより、何が起きるのかと言えば、
「真に必要な事業」までが減らされてしまうのだ。
先日、当ブログにて、
現場従事者の深刻な実情の問題を記したが、
まさにこうした決断できない政治による
被害者であると言えるのかもしれない。
なんでもバサバサと事業を切れ、
というつもりはさらさら無い。
むしろ、税金ですべき事業は必ずあると確信している。
それを安定的に存続させるための、
廃止の決断が大切だと言っているのだ。
そしてこの決断は、
本来、選挙で住民に選ばれた政治家(首長・議員)の役割であり、
行政職員に任せるものではない。
経営という観点で考えれば、
「収入を増やす」か「支出を減らす」か。
これで持続性を担保するしかない。
今、収入を増やすのは、なかなか困難だ。
増税には一定の理解が必要とされるため、
時間がかかる。
しかし、課題は継続的に発生している。
だとすれば「支出を減らす」しかない。
事業の廃止の主張は、
そのことを言いたいのである。
必要な事業に費用を捻出するために、
いらなくなった事業を廃止する決断をする。
これは政治の大きな役割である。
私が議会が主催する事業仕分けにこだわるのも、
そこに寄与するツールとなると考えているからだ。
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5月31日(土)
●浜松市:事業仕分け傍聴
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6月1日(日)
●浜松市:事業仕分け傍聴
●浜松市職員との懇親
6月2日(月)
●午前、浜松市:公会計制度についてのヒアリング
●浜松市:事業仕分けについてのヒアリング
●午後、静岡県:業務棚卸による行政改革についてのヒアリング
●夜、明大大学院の授業
●明大大学院・学生との懇親