• 「猫の手貸します」

福島第1の放射性物質、拡散予測5000件が未公表
政府が発表、「開示でパニック懸念」」
(日経WEB版2011/5/2 20:53)
こんな見出しの記事に目がとまった。
看過できない、と思った。
福島原子力発電所事故対策統合本部の発表では、
「SPEEDI」の予測結果のうち、
未公表が約5千件にものぼる、とのことである。
「SPEEDI」とは、原発事故における
放射性物質の飛散状況を予測するもの。
公表しなかった理由がふるっている。
その理由。
(事故当初では開示によって)
 国民がパニックになる懸念もあった、
とのことである。
記事を読み、
看過できないほど感情的に立腹したが、
冷静に考えよう。
私が問題だと考えるのは、
公表しないことを決めたのは「誰か」、
という点である。
この「誰」にあたる主語についてである。
この点は必ず検証すべきである。
今、緊急事態が続く中、
検証は後回し、
というなら、事後に送ってもいい。
でも必ず検証するべきだ。
これは日本の政治システムにかかわる問題だからだ。
この情報。
周辺住民の命にかかわる重大な予防的情報なのだ。
実際に放射性物質が最も飛散したタイミングの直前に、
この情報が住民に提供されていたとして、
どのくらい効果があったかは私にもわからない。
ただ、可能性が、機会が、失われたのは事実である。
決定したのが「誰が」という時に、
「総理が」もしくは「官房長官が」決めた、
ということなら、
なぜ公開しない判断をしたのか、
国会で話を聞いてみればいい。
懸念しているのは、
その「誰が」にあたる主語が、
もし行政職員だとしたら、である。
これこそ「官主導」の弊害の最たるものだと言える。
行政職員は情報を収集したら、
自ら政治的判断をせず、
政治家にそれを委ねるべきだろう。
軽微なものまでをすべて、
とは言わないが、
このケースは人命にかかわる
重要なケースと考えられる。
政治家が、
今回のケースでは「総理」か「官房長官」もしくは、
それに準ずる権限を与えられている官邸内の責任者が、
そのゆだねられた情報を
どう発信するのか判断すればいい。
もし政治家の判断で公開されなかったとして、
今回の飛散予測が公開されないことで、
避難する人々の可能性を奪ったということならば、
後に政治家の責任が追及されることだろう。
逆に政治家の判断により、
パニックを回避するという判断があり得るかもしれない。
いずれかは後の検証を待たなくてはならない。
深刻なのは、行政職員が、
その情報を知っていながら、
自分の判断で「公表しない」ことを
決してしまった場合である。
つまり決定者の政治家に委ねることなく、
権限外の決定までしてしまった、場合だ。
判断するべき政治家の判断の機会を奪ったことになる。
これは避難する周辺住民の安全にとどまらず、
現在の統合本部の機能が充分に果たされず、
制限されていることを現わす重大な問題ではないか。
先の記事では、
統合本部の事務局長を務める細野豪志首相補佐官は「(事故当初では開示によって)国民がパニックになる懸念もあったと判断したのではないか」と語った。
とある。
政治家の細野氏の
「判断したのではないか」という物言いが事実とすれば、
担当者、すなわち行政職員、
ということとなるのでろう。
素直に読めば、行政職員の判断で
公表しないことを決めた事となる。
「判断」するのは政治の役割であり、
行政は「執行」する、もしくは「企画・立案」する、
政治に「判断を委ねる」のが役割だ。
政治家は選挙の洗礼を受けて
決定者としての正統性を有している。
特にこうした重大なことについては、
この原則を徹底しなければならない。
私は、官邸は直ちに政治主導の原点に立ち戻って、
一切の情報を集約することを
各機関に徹底周知するべきだと思う。
情報なくして的確な判断はできない。
こうした事が表に出るということは、
少しましになった、
もう今後こうした隠蔽は出来ない環境となった、
ととらえて安心していいのか。
それとも、他にも同様のことがある、
その氷山の一角で
これまでの対応の失策にとどまらず、
今後もこうした状況が続いていくのではないいか、
と心配に思うべきなのか。
今回の事例が示す通り、
民主党政権の政治主導への取り組みは、
残念ながら前に進んでいない。
最後に。
「国民がパニックになる懸念もあった」
との判断から公表しなかったという。
う~む。
国民を信頼していないこの発想、
あまりにも情けない。
政治の中枢にいる人たちには、
もっと国民を信頼してほしいものだ。