• 「猫の手貸します」

1月。
選挙を3カ月に控えながら、
頼る組織も、当選に足る名簿も、
地盤もない無所属の立場。
前回は最下位である。
外には勇ましく見えても、
私の内心は不安や心配で渦巻いていた。
そんな時。
4年前の選挙でお手伝いいただいた方から、
4年ぶりに、電話が鳴った。
後にも先にもない、
まさに「ここぞ」という絶妙なタイミングだった。
この方。
議員やその候補者を支える立場で、
政治の世界に長く関わってきた見識ある方だ。
こちらは会うたびに恐縮してしまうような方である。
「一度話をしましょう」
と約束してすぐに電話は切れた。
私の予定に合わせて、
わざわざ自宅のある都内から、
その日の駅立ちの南浦和駅までお越しいただいた。
「手伝うから何でも言ってください」
挨拶もそこそこに、そんな話から始まり、
候補者にとっては大事な時期で時間をとっては悪いから、
と私に寄付を渡して言葉少なに去っていった。
喫茶店で約15分の短い会話だった。
その後。
何度か事務所に足を運んでいただき、
要所でお手伝いいただいた。
が、余計なことは一切口にせず、
淡々と身体を動かすだけだった。
その時々の候補者心理を踏まえ、
選挙事務所に何が必要かを熟知し、
余計なことをせずに粛々と行動する。
何の見返りも求めないどころか、
寄付までお寄せくださる。
全く隙のない一連の所作に脱帽し、
ただただ感謝をするしかない。
4年前の応援の仕方と全く同じであった。
何も見返りを求めない、こうした親身な応援こそ、
応援された当の政治家自身に対しては、
当選後の責任ある行動を促す最良の方法となる。
このことも、
御自身の経験から熟知されているのだろう。
さて、今回の当選後。
この度、この方にお会いし、
お酒を酌み交わしながら
じっくりと話をする機会を得た。
「くれぐれも取り込まれてはいけませんよ」
そんな、いくつかの教訓をいただく。
北方領土の歴史的経緯など、
政治の話は尽きないまま、
居酒屋の閉店時間になり、お開きとなった。
やや千鳥足の背中を見送りながら、
心の中で気持ちを奮い立たせる別れの瞬間だった。
私は、4度選挙を戦っている。
その4度とも「無所属」で戦っている。
政党はもちろん組織や団体に依存せず、
あくまで自分の主張を鮮明にし、
有権者に自分の主張を伝えることに、
愚直なまでにこだわる選挙を戦ってきた。
「無所属で4度も当選してすごいですね」
と言われることがある。
それは組織型候補たちが、
大変な数の人たちの応援を受けながら
かなりの金額をかけながら選挙を戦っているのに対し、
私のようなベンチャーであり中小零細の立場は、
少数による戦いとなっているからだろう。
つまり奇跡が4度も続いている、
と見られているのかもしれない。
組織に下駄をはかせてもらう候補者心理は、
充分に理解できる。
しかし。
実際に私のような事例もあるのだ。
私の応援団。
先の方のように見返りを求めず、
ただただ期待し粛々と応援する、
こういう方々ばかりなのである。
これが私の何よりの「強み」なのだ。
本質は応援の人数の多い少ないではない。
応援の質の面では、
私はどの陣営にも引けを取らないだろう。
さらに。
その方々の力を借りて言葉を発した時、
その主張に共感し、「任せてみよう」と期待して
送りだしてくださる有権者の存在も、
私の当選の事実により証明されている。
有権者はしがらみや利益誘導だけで
判断しているわけではないのだ。
私は、利益誘導を望む市民には
耳に痛い主張をしている。
事業仕分けの実施など、行政改革を一番に掲げ、
その実施を声高に主張しているのだ。
それでも一定の有権者の支持を得る結果が出ている。
有権者は信じるに足る存在だという持論は、
こうした私は自分の経験から滲み出たものである。
有権者はとっくに真っ当な判断をするに足る水準に達している。
むしろ政治家という権力者になりたい側、
候補者の側の質が低いから、
政治改革が思うように進まないのではないか。
自戒を込めて実感している。
以上のこうした私の選挙の特徴である。
「選挙の常識」に挑戦することも、
政治改革への行動の一端に位置付けている。
この応援団、有権者とともに、
これを4度、成し遂げてきたのだ。
この意義は、
けっして小さいものではないだろう。
でも。
それだけに大きな責任を感じる。
声なき声に応える責任を、である。
当選は到達点ではない。
為すべきことを為すために議席を得る、
というスタートラインに立ったに過ぎない。
私を送り出してくれた方々のためにも、
粛々と自らの役割を果たしていかなければならない。
いずれにしても。
4期目の任期が、5月1日よりスタートした。
最初が肝心。
さっそく東日本大震災に関する「緊急質問」で
登壇するところから取り組みが始まる。