• 「猫の手貸します」
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▼<携報>三宅島を後にして

帰途につく船。本来、島の東側に位置する「三宅港」か西側に位置する「錆ヶ浜港」のどちらかに船が来て、乗船する。しかし。本日風が強く波が荒いため、いつもの接岸ができないという。そこで、年に1%しか船が接岸しないという伊ヶ谷港 …

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▼<携報>浅沼稲次郎生家

日比谷公会堂で右翼青年に刺殺された政治家。といえば社会党・浅沼稲次郎である。稲次郎は三宅島出身。 銅像と生家を見学しました。

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▼<携報>災害用脱硫装置

三宅市庁には、脱硫装置が設置されている。

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▼<携報>三宅市庁

三宅市庁は、三宅島の三宅村と、隣の島である御蔵島も所管している。災害復旧の話などうかがう。

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▼<携報>三宅島の交通

三宅島への交通は、①船、②飛行機、③ヘリコプターの三種類が考えられる。 このうち標準なのが船。二等の船底での雑魚寝で行けば、片道6500円。ただし出発は22時30分竹芝桟橋発である。6時間船に揺られることとなる。三宅島に …

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▼<携報>溶岩の上を歩く

溶岩の上を歩く。波の音の聞こえる穏やかな環境と目の前に広がる光景のギャップはあまりに大きい。小・中学校は昭和58年の噴火の際に、溶岩に飲み込まれた。

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▼<携報>間一髪、結果的にうまくいった避難、S58年噴火

この噴火はS58年。この時の村役場担当者によると、この地区の住民は一端小学校に避難した。しかし溶岩流が流れて来ることがわかり、安全な方向に再度避難。間一髪だったそうで、「結果的にうまくいったとのことだった。」

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▼<携報>溶岩の中、道を切り開く

溶岩の間を切り開き道を造る。圧倒的な自然に翻弄されながらも、たくましく生活再建をしようという島民の意思を感じる。

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▼<携報>小学校校舎の破壊

校舎を破壊する、その凄まじいエネルギーを目の当たりにする。人間の力は自然に敵わないことを思い知らされる。

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▼<携報>日本建築学会 三宅島研修所

日本建築学会の三宅島研修所にて。「風の家」の運営について。帰島の年に開始。運営協力員が配置され運営。開けてぶらっと遊びに来る。暮らし再建が最優先。市民活動のレベルで、出来ることをやっていこうとはじめた。噴火前後で島民の暮 …

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